役に立つことで、生きていく
人の役に立つことで、生きていく
☆この記事の結論
いま世の中でよく言われ、崇高なものとして見られている気がする
「好きなことで、生きていく」
を若干否定しつつ、生き方って色々あるよね。と言うことです。
☆結論の理由、具体例は以下
人の役に立つことで生きていく
勝手に引用して申し訳ありません。
とてもとても私にとってタイムリーだったので載せちゃいました。
この記事のなにがいいって、私がいま考えていたことを体現してくれているのです。
昨日の記事では「好きなことで、生きていく」を考えましたね。↓
好きなことで、生きていく - 超凡大学生
そして、今日はそれと逆説的な考え方です。自分が好きとかではなく
「人の役に立つことで、生きていく」
です。
例えば、始めに挙げた記事で福田恵理さんはこう綴っています。
そうやって一つ一つインターネットのことを学んで行く中で違和感を感じたのは、IT業界の圧倒的女子不足。
「自分はパソコン得意じゃないから…」「プログラミングなにそれおいしいの」状態の女子が周りに多く、作りたいサービスとかアイデアの構想はみんなキラキラした目で語るんですけど、それを達成するための1ステップが踏み出せない。
私も完全にそっち側の人間だったので、世の中の女の子たちにどうにか私が体験したような、武器を身に付けて変わる世界を見て欲しくて。
どうやったらITリテラシーに苦手意識がある女の子たちをアトラクトできるだろうか、と学生時代にない頭を捻ってできたのが、DesignGirlsという初心者の女子限定のWebデザイン講座でした。
興味があるけど難しそう、できない、やらない
と「困っている」人に対し、「解決策」を提示したのです。
そして、ぐさっときたキーワードはこれ
それを喜んでくれるお客様がいる。
そう、これです。解決して、喜んでくれる人がいる。これが大事なんです。
人の役に立って、最終的に相手が喜んでくれるか、ここが大事です。
極論的に言えば、相手が喜ぶから人の役に立ったといえると思います。
喜びが生まれない「役に立つ」はかなり自己中心的で、虚無的な自己満足行為です。
「それがだめ」と言うよりは、「できることなら喜んでもらいましょうよ」ってことです。
すっごい雑にまとめると、
「人の役に立つことで生きていく」とは「人が喜んでくれることをする」
です。
ここでいう「人の役に立つ」とは
「困っている」人の「問題」に「解決策」を提示してあげる
または、「困っている」人の「問題」を「解決」してあげる
これが、「人の役に立つ」の基礎だと思います。
でも、ここからが難しくて、水道管理してる人とか本来「人の役に立っ」ていると思うんですね。
なぜなら、なくては困る「水」を水道管をという管を通して(解決策)供給してくれるからです。
でも、みんな水飲む時とかいちいち「水道管理会社さんありがとう」とか思わないし「水」が出てくるからといって喜びませんよね。
なぜでしょう?
それは、「困ってる度」が低いから。
人が喜んでくれるには、人の役に立つためには
「困ってる度」の高いこと、というのが大事なのです。
理不尽だとか色々不満がでるでしょうが、そうなのです。
どっちが大事?
前回の「好きなことで、生きていく」と比べたら少しあっさりすすんでますが、流れの問題で、、笑。いつも長くて途中で読むのやめちゃう人がいると思ったので、テンポ早めに進めます。
どっちが大事ってそれはどっちも大事で、今回言いたいのはその位置関係。
少し客観的になって、この4パターンに別れる人の仕事を見てみてほしいです。
(以下、例に挙げる仕事とかは、それに対して批判とかをしたいわけではないので、そこはほんと理解して下さい!)
まず左上「人の役に立たないけど好きなこと」が仕事である場合。例えば、プラモ作りをひたすらしている人。そういうことを仕事にしてる人に向かってたいていの人はこう言いますよね「そろそろ現実みたら?」「そんなんでこれからも生きていけるとおもってるの?」とかとか。好きなことなのでほどほどに夢中になれますが、だれも共感したりしてくれないんですよね、、、。
左下「人の役に立たなくて、好きではないこと」出来る限り早く仕事変えたほうがいいんじゃないかな、、、と思ってしまいます、、、。自分も他人も大切にできていない仕事なんて、、、でも、意外とこういう人多いのかも。
右下「人の役に立つけど好きではないこと」だれかのために必死に毎日頑張っているのだと思います。別に好きでもないけど、だれかの役に立ちたくて、、、まさにボランティアとかでしょうか。
右上「人の役に立って、なおかつ好きなこと」自分が好きでやってたらそれが気付いたら人の役に立ってて。もしくは、人の役に立つためにやってたらそれが気付いたら自分の好きなことになってて、そんな仕事。
始めの記事の福田恵理さんはまさにこの右上の生き方を体現してる、ということです。
自分の原体験から感じた課題を、自分のアイデアで解決する。
これですかね。
ひょんなことからはじめたデザインが好きになり、人がそれを気に入ってくれたり、人がそれを必要としてくれたり。
デザインやってみたいけど、、、という人の役に立ちつつも、自分の好きなことをやっている。
まさしくこれが右上の職業ではないでしょうか。
わたしはこの右上の職業(職業と呼ぶか、趣味の延長線と呼ぶかどうかとかは任せます)が素敵だなって思いました。自分が満足するだけじゃなくて、他の人の役に立ったりして喜んで欲しい!とかみんなに頼ってもらいたい!とか、そういうことがあったほうがより素敵だな〜って思います。
まとめ
様々なことをつらつらと書いてきましたが、なんとなく
好きなことで生きていくこと
役に立つことで生きていくこと
そのバランス感覚
っていうのがこのブログを書きながら整理できた気がします。
そして、最後に、こういうことを考えた先人がやはり既にいて、
それを見事な図に表現しているので、ぜひ見て下さい!
好きな事・上手にできる事・稼げる事・世の役に立つ事 : タイム・コンサルタントの日誌から
詳しくは上のリンクに書いてあります!
簡単に言うとこの図は「自分の人生の生きがい、目的」とは
を考える一種のフレームワークのようなものです。
上記の図でいうと、これまで僕は2個の円まで考えました。
しかし、見れば分かる通りこの考え方を深めていくと実は4つの円がありまして、
- 好きなこと
- 得意なこと
- 稼げること
- 世の中が求めていること(私のブログでは「人の役に立つこと」にあたる)
です。そしてそれぞれが重なるところにも重要なヒントが書かれています。
「好きなこと」と「得意なこと」の重なり合う領域は、自分にとって”Passion”(情熱)
「得意なこと」と「稼げること」重なるの領域は”Profession”(職業)
「稼げること」と「人の役に立つこと」の領域は、”Vocation”(天職)
「人の役に立つこと」と「好きなこと」となる領域は、”Mission”(使命)
- Passion
- Profession
- Vocation
- Mission
上記の4つの領域、それを表す言葉がいずれも大事です。
自分の仕事はこの4つを踏まえるとどういう位置だろうか。
好きで人の役に立ててるけど、実は稼げていないことないだろうか?
稼げて人の役に立てているけど、好きではないことをしているだろうか?
それがだめだとか、それがいい、ということではなく、こういうことを踏まえて自分の職業とは、自分のやりたいことは、自分の人生とは、人生の目的とは、考えることはとっても大事かな、と思いました。
そして、全ての円が重なり合う中心の赤いスポット。
これが”Purpose”です。
「生きる目的」、「生きがい」
自分に置き換えて一回立ち止まって、考えたいと思います。
円ひとつひとつ、そして重なり合う領域、そして赤いスポット「生きがい」
どうでしょう。
「好きなことで、生きていく」
以外にもたくさんの生き方があると思いました。ということで
☆結論:生き方って色々あるよね
自分に合う、自分の生き方を見つけたいです。
前フリが鬼長いですが、自分の道についてゆっくり書いていこうかと思います。
そう、サッカーを職業に。
続きは明日。。。
サッカーが好きだ
好きなことで、生きていく
そこらへんにいる大学生の独り言
好きなこととは
好きなこととはなんでしょう。
人それぞれあると思います。
そして、好きなことが本当に全くない人に私は未だに出会ったことありません。
どれくらい好きか、とかそこんとこは本人しかわからないので確認できませんが、
これが好き、こういうのが好き、こういうことしてるときが好き、こういうことしてもらってる時が好き
色々形はありますが、「好き」とは「きっとだれしもが持ってるなにか」でしょう。
(ものっていうと、物質的なものに限られそうですが、目に見えないものも含みたいので、敢えて「なにか」と表現しています)
好きなことをしているときって
人によっては時間を忘れたり、視野がめちゃくちゃ狭くなったり、色々な症状が現れていると思います。
私は、「好きなことと」は「生きていることを実感できること」だと思います。
そして同時に「生きていることを忘れられること」だとも思います。
実感できる、というのは「このままずっとこうしていたい」とか、「最高!(生きてて)よかった!」といったかんじでしょうか。
忘れられる、というのは「気付いたら終わってた!」とか「体力が無限だった」といったかんじでしょうか。
「好きなこと」とはそういった「人生を実感し、人生を忘れる、こと」かもしれません。
生きていくとは
生きていくとはまあそのまんま、生きることでしょうか。
生きることは昔は簡単だったのです。(迷うことはあまりなかったということ)
「ホモ・サピエンス全史」を立ち読みして学びましたが、
人間は狩猟採集生活をしているときは今を生きるのに必死だったので、そんな「生き方」なるものはたくさんありませんでした。臨海部中心で生きるか、山岳地帯中心で生きるか、くらいの選択はできたかもしれませんが。
人間はある日狩猟採集生活に疲れ、コムギが比較的安定した食料供給をしてくれることに気付いてから、移動型の生活から定住型生活に生き方を変えました。
するとなんと、身体的安定の代わりに精神的不安定を手に入れました。
いままでは食料が不足したら狩猟したのですが、もうそんなことはできずコムギが育つか育たないかにビクビクするようになりました。
その日から人間は来年の収穫の予想や害虫からの予防などを考え始めました。
そう、今ではなく中長期的な「将来」について考えざるをえなくなったのです。
これが発達していき、現代で言うと、「どうやって生きていくか」について考えざるをえない、というものになったのです。
この記事では別に「今のために生きる狩猟採集生活」と「中長期的に生きることを考える農耕生活」のどっちがいいとか、どっちが正しいとか、そういうことについて話したいわけではありません。
ただ、(一種の農耕生活である)現代を生きていくためには「中長期的な将来について考えて生きる」ことは必須なのです。これは避けられません。
あなたが森のなかに単身なにも持たず乗り込めば「今のために生きる」ことができます。(私はこれを疑似体験できるものが「旅」だと思っています。)
話を強引にまとめると、(現代)を「生きていく」とは「中長期的な将来について考えながら生きる」ことだと思います。
好きなことで、生きていくとは
いままでの流れから、考えると
「好きなことで、生きていく」とは
「人生を実感し、忘れながら、中長期的な将来について考えながら生きていく」です。
なに言ってるのかわかりませんね。笑
さて、ここで冒頭のYouTuberの方たちを観てみましょう!
どうでしょう?人生を実感し、忘れているでしょうか?
中長期的な将来について考えながら生きているでしょうか?
私は彼らを観ている限りそう思います。
いまできる自分の最高の状態で“人生”を強く体感しつつも、その体感はあるようでないに等しく、一瞬で過ぎ去っていく。
「今」を生きすぎて「今」を忘れている、てきな。
そんでもって、次はどんな“最高の自分”に出会えるのか中長期的に考えて生きている。
中長期的にどうやって“自分の今”を生きていくか(将来)を考えて生きている。
と、私は思います。
「自分の“今”を生きつつ、将来の“今”を考える生き方」
そう、
「狩猟採集型の生き方と農耕型の生き方のハイブリッド型の生き方」
これが「好きなことで、生きていく」ではないでしょうか。
まとめ
では、「好きなことで生きていくこと」が最高の生き方なのか
それはわかりません。
しかし、私はこの生き方がとてもしっくり来たのでこの生き方をします。
人それぞれ考えることはあると思うので別にこの生き方を強制させたいわけでもなんでもありません。
生き方ってたくさんあるし、その人が自分で好きな生き方を選択していいと思う。
ただ、「私は」この生き方が「素敵だなっ」て、「私は」率直に「思った」のでこの生き方をしたいと思いました。
この決断のときにも「素敵か素敵じゃないかで自分の人生を決めるのか?」とか色々考えましたが、客観的で絶対的な判断基準って中々ないですよね。それこそ幸福が客観的で絶対的(と言われている)な単位である「数字」で測れないのと一緒で。生き方とか決める時に、なんか絶対この価値判断基準に従わなくてはならない、てきな法律だったりなんかありましたっけ?
特にいまのとこ(無宗教の)自分にはそういうのはないと思われるので、めちゃくちゃ主観的な「素敵だな」って思ったこの生き方を選ぼうと思います。
そして
「自分の“今”を生きつつ、将来の“今”を考える生き方」
「自分の“サッカー”を生きつつ、将来の“サッカー”を考える生き方」
そう、サッカーを職業に。
続きは明日。。。
(私は読んでいる方がイメージしやすいYouTuberをあくまでも例としてあげていますが、本当に彼らが今を生きているかとかはわかりません。みなさんの周りに好きなことで生きてる人がいて、それがわかりやすければそれをイメージしてもいいし、なんでもいいです。なんとなくロールモデルぽい人たちとしてYouTuberを選びました、違ってたら「YouTuber」ってとこは読み飛ばして「人生を楽しんでいる人」とかで代用してイメージして読んでください。また、もしかしたら身体的な障害かなにかで生き方を選択することができなくて、、、とかあるかもしれません。そういう方に、生き方はたくさんあるだとか、生き方は選んでいい、といった言葉はご迷惑でなおかつ不快かもしれません。あらかじめお詫び申し上げます。)
なにがしたいとかがわからず迷ってるそこのあなたへ
人生に迷ってるそこのあなたへ
サッカーが好きなんです
私はサッカーが好きだ。
なぜなら、すっごい簡単に言うと、興奮するから。
自分がプレーしている時も、だれかのプレーを観ている時も
サッカー以上の興奮を味わうことは中々ない。
サッカー好きなんてこの世にたくさんいるし、だれよりもサッカーが好きなんて陳腐なことを言いたいわけではないが、サッカーが好きだ。
TVで信じられないパス、シュートを観た時。
サッカーをしていて、良い連携でたまたまゴールが決まった時。
とても興奮する。やったあ!すごい!わあ!言葉にしづらいがとても興奮するのだ。
また、興奮するから以外に理由があるとすれば、仲間と共感できるからだ。
興奮に限らず、あのシュートはああだ、いまのパスはこうだ、好きなチームが負けて悔しい、そういった感情を友人や一緒に観ている人と共感できる。
それがなにより、嬉しい、楽しい。
負けて悲しい気持ちでさえ共感できると嬉しい。
共感という時間、空間、人を提供してくれるのが“サッカー”だと思う。
家でソファにくつろぎながらサッカーを観る。
サッカースタジアムに行ってサッカーを観る。
休日友人とサッカーをする。
これが私にとっての至福の時間だ。
サッカーによって生まれる
「興奮」
「共感」
これがほしいがために、今日もサッカーを観る、する。
サッカーが好きだ。
サッカーがやっぱり好き
大学にはいってから今日まで、紆余曲折を経た。
様々な失敗や成功を重ねてきた。
やりたいことはなんだろう?
自分にとって最も大事なものとは?
以前の記事を見て頂ければわかるが、私はかなり意識高ぶっている大学生だ。
そう、とくになんともない超凡大学生だ。
そしてそんな大学生は
大したこともできないが、なにかを求めてさまよっていた。
インターンもたくさんやった。
アルバイトもたくさんやった。
学生団体だってやった。
サークルだってやった。
けど、なんも見つからなかった。
ああ、私ってだめなんだな。頭悪いんだな。
いや私だって〜、私ってすごい!
そんなことを繰り返して大学生活を繰り返してきた。
成功⇔失敗、挑戦⇔逃避
たくさん経験した。
そしてたどり着いたことは
サッカーが好きだ。
まとめ
極論を言えば
「興奮」「共感」
がある職業だったらなんでもいい。
色々な経験(具体)からやっとこのキーワード(抽象)を導きだすことができた。
そして、そろそろ正規ルートでやってみようと思う。
なにかっていうと、
まず、「興奮」「共感」がある職業はいっぱいあると思う。
それこそ調べればたくさん。
そこで、また色々試行錯誤して自分のやりたいことにマッチするものを探してもいいんだと思う。
けど、冷静に考えたら、既にひとつ見つかってるじゃん。笑
どう考えたって「興奮」「共感」がある職業。
そして自分とマッチしているもの。
「サッカー」
そう。また迷ってもいいんだけどさ。
そろそろ敢えて迷ったりせず、これに打ち込もうと思う。
これを信じて前に進もう、かな、と。笑
そう、サッカーを職業に。
続きは明日。。。
サッカーが好きだ