超凡大学生

どこにでもいそうでいない大学生のつぶやき

なによりも「家族」を大事にしたい

就職活動を進めれば進めるほど

やってみたいこと、得たいスキルなどが

バンバン見つかる

 

こんなこともやりたい

あんなこともやりたい

こんなことはしたくない

あんなことはしたくない

 

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家族を大事にしたい

 

大変だとはわかっているけど、営業をやりたい

帰れない日があるだろうけど、企画をやりたい

毎日何十人と面接しなければならないけど、人事をやりたい

IR資料作成やプレスリリースなど実は大変だけど、広報をやりたい

 

やりたいことはたくさんでてくる

できないこともたくさん見えてくる

 

けど

全部、なんのため?

 

幸せのため。

 

その自分の幸せを作る

大きな一つの要素に私は

 

「家族」

 

がある。

 

なによりも家族を大事にしたい。

深い理由はまだ言えないが、私は「家族」があまり好きではない。

様々な面で支えて頂けているし、本当に感謝している。

ただ、私は「家族」で居場所がない。

「家族」という生まれて一番初めに飛び込むコミュニティにおいて私は居場所がない。

 

そんなかんじで、私は「家族」というコミュニティを渇望している。

温かい家族ってどんなのなんだろう

楽しい食卓ってどんなのだろう

一緒に見るテレビってどんなのだろう

 

 

だから、将来なによりも大事にしたいことは

「家族」だ。

 

自分が子ども時代感じることができなかった「家族」を大人になったら感じたい

子どもとして、は難しかったから今度は親として、

「家族」というコミュニティを手に入れたい

 

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実際めちゃくちゃ不安

 

正直言って不安だらけだ。

なぜなら子どもにとっての「家族」を私はあまり感じたことがないから

自分の子どもにそれを感じてもらうことができるのかわからないのだ

自分が感じていればそれを参考にしたりして、

子どもにとってより温かい「家族」を実現しようとできるのだが、

なにより自分の中で参考にできるものがあまりない

反面教師的なかんじで

自分が子どもとしてこれはいやだったから、こういうことはしてはいけない、はわかる

しかし、こうしたら喜ぶ、といったポジティブなほうに関してはデータがない。

 

もしかしたら、「家族」を大事にしようとして過保護になったりして、

「家族」を実は大変なことにしてしまうんではないか、

という不安がめちゃくちゃある。

 

自分なんかが本当に家族を大事にできるのだろうか

結局なんだかんだ育て方とかって、自分を育ててきた親のやり方に似てしまうんではないか

子どもが楽しい食卓なんて特におもしろいことを言えない自分が作れるのだろうか

奥さんを大事にできるだろうか

奥さんとあらゆる面で二人三脚できるだろうか

 

まだ子どもがいるわけでもないのに、奥さんがいるわけでもないのに、とても不安になる

 

でも、こんなかんじで、自然と不安になってしまうほど、自然と考えてしまうほど、

自分は「家族」を渇望しているようだ。

 

なによりも、家族を大事にしたい

 

そんなことにやっと気づけた就職活動17日目。

 

家族を大事にするにはどんなスキルが、どんなスタンスが、必要なのだろう

 

どんな人間にならなければならないのだろう

 

もっとよく考えて、就職活動や、人生について考えたい。

自分をもっと愛していい ストーリーに特化したメディアがやりたい

私は

 

人の「ストーリー」が好きです。

チームの「ストーリー」が好きです。

 

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ストーリーとは

 

この記事でいう「ストーリー」というのは

インスタグラムの「ストーリー」機能ではなく、

個人や集団が描いてきた過程(人生)です。

 

ちなみに私にとっての「ストーリー」とは

「この世の中に同じものが一つもない心を動かす“こと”」

です。

 

ちなみにある英英辞典では

「Story」の英訳の一つとして

「a message that tells the particulars of an act or occurrence or course of events」

(=「その行為や事象の発生または経過の旨を伝えるメッセージ」)

です。

 

そう、ストーリーは「メッセージ」だとも思っています。

 

どこに惹かれるのか

 

人はそれぞれ自分が見た世界を生きています。

 

なぜなら、

人は地球上に唯一無二です。

同じ人生を歩んできた人は決して一人もいません。

 

チームは結成されてからチームが見た世界を生きています。

 

チームとは唯一無二の個人が集まってできる集団です。

だからチームも同じチームは地球上に決して一つもありません。

 

従って、

人やチームが歩んできた「経過」「道」「人生」=「ストーリー」

は地球上で唯一無二です。

 

世の中に唯一無二な“こと”って多くない。

「ストーリー」はダイヤ1カラットとかよりぜんぜん希少性が高いんです。

人間は唯一無二なことに惹かれる。

私はそう思うんです。

特に私は惹かれます。

 

不謹慎でも好き

 

このようなことを書くと

「ストーリー」を「成功体験」を勘違いしてしまう人がいますが、違います。

誤解を恐れず言うならば、成功も失敗も含めた「ストーリー」が好きなんです。

 

失敗の「ストーリー」を「好き」と書くと「不謹慎」と言われるかもしれません。

否定しません。不謹慎かもしれないです。

ただ、念のため言いたいのは人の失敗を軽く見たり、人の失敗を喜んだりしてるわけではないということ。

「失敗」の「ストーリー」を含めた「人」の「ストーリー」(=人生?)が好きです。

(そもそも「失敗」って何、みたいな話は割愛します)

 

「ストーリー」に特化したメディアってありそうで、ない

 

下記のメディアは大好きです。しかし、自分としてはもの足りないというかんじです。

もっと深掘りしたいんです。

listen-web.com

 

自分のイメージとしては、下記記事です。その人の「ストーリー」が伝わる。「メッセージ」のように。

www.businessinsider.jp

 

「AIが人間を超えるなら、ほとんど人間は働く必要がなくなる。そう考えたら、今会社で働く意味が、一気に分からなくなった」

 

誰もが一度は考えたであろう「AIあるなら働く意味って…」という考え。

久野太一さんもそう考え、「道」「ストーリー」(人生)を歩んだ。

久野太一さんのこの「ストーリー」はもはや何かを伝えている「メッセージ」ではないだろうか。

久野太一さん自体がもはや「メッセージ」。

そんな感覚を私は覚える。

そして心を動かされる。

実際にあれこれ考えて、行動を起こし、生きているという、まるで記事自体が生きているんじゃないか、というような感じ。

私はこの記事にとても心を打たれた。

そして私はこのような「ストーリー」をもっと知りたい。

 

ストーリーが求められる世界

 

もちろん

人によっては良いストーリーと感じる「ストーリー」も、悪いストーリーと感じる「ストーリー」もある。

ただ、今の世の中的に、

人はそういった「ストーリー」を求めているし、

逆に人も「ストーリー」を語りたいんじゃないだろうか。

(無理して語らせるべきではないし、無理して語るべきでもないとは思っている。そこは配慮しているつもりだ)

 

なぜそう思うかというと、こういった番組が最近人気を博しているからだ。

テレビ東京すごい…!)

www.tv-tokyo.co.jp

 

www.tv-tokyo.co.jp

 

国内、国外の人が「実はこんな人生歩んできました!」というのを伝える番組

(雑な説明ですみません)

 

私はこの番組の「色々な人の色々な人生を伝える」というポイントが好きということです。

(ネットで批判される「日本称賛番組だ!右翼的だ!」てきなところについては言及しません。)

 

やりたいこと

 

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私はこれをテレビではなく、Webメディアとしてやりたい。

「ストーリー」に特化した「Webメディア」をやりたい。

 

色々な人の色々な思いを知りたい、伝えたい

色々な人の色々な人生がぎゅっとつまったメディアをつくりたい

 

冒頭であえて人だけでなくチームも書いたかと言うと、チームのストーリーもやりたいから。

色々なチームの色々な歩み「ストーリー」を知りたい、伝えたい

色々なチームのストーリーがぎゅっとつまったメディアをやりたい。

いつか、自分のストーリーも書きたい(今は諸事情で書けない)

 

いつも感じること

 

もちろん自分が「知りたい」という気持ちが今大きな「やりたい」につながっているが、それだけでない。

 

現在私は就職活動中。自分も就職活動を進めるし、友人も就職活動を進めている。

そんな中で相談されやすい私は相談相手として色々な人の半生を聞いたりするのだが、

いつも感じることがある。

それは

 

「なんて素敵な人生を送っているんだ」

「なんでこんな素敵な人生を歩んでいるのに、だれかの人生のいいところだけと自分の人生を比べて、落ち込んだり、自信を失くしてしまっているのだろう(自分も含め)」

「もっと自分の人生に自信って持てないかな」

「自分は自分だし、だれかはだれか。比べずに、自分の人生にもっと自信を感じることはできないかな」

 

「ストーリー」に特化した「Webメディア」

 

そんな思いから、「ストーリー」の「メディア」をやりたいと考えている。

私は多くの相談を受けた結果、ある程度「自分は自分」と考えることができるようになった。(まだまだだが。)

なぜならやはり多くの人の話を聞くことができたからだ。

自分のストーリーの一瞬一瞬の苦しみとか喜びは、正直だれにも完全にはわからない。

逆も然り。だれかのストーリーの苦しみとか喜びは、正直完全にはわかってあげれない。

これは諦めではない。

もちろん人のストーリーを聞く時、出来る限り苦しみとか喜びをイメージし、共感したり、なにかしらする。

しかし、完全にその人の痛みとかを味わってあげることはできないのだ。

 

それがわかってくると、私は「自分は自分」という自分の人生の当事者意識がでてきた。

「この苦しさわかれよ!」と思ってもだれも完全には「わかってくれない」のだ。

するとだんだん

「だれかの人生と自分の人生を比べてもしょうがない」という考えに変わり

自分の人生に妙な「自信?」が湧いてきたのだ。

「ここまで俺よくやってきたんじゃない?」てきな。

 

もっと自分を愛していい

 

これをやりたい。

自分の人生を、できるならば悲観してほしくない

もっと自分の人生を許してあげていい

 

完全にわかったようなことは言えないが

みんな必死に生きてると思う。

自分の人生にもう少しだけ自信をもってほしい

そう言う自分も、自分の人生に自信を持ちたいんです。

 

もっと自分の人生に肯定感を感じていいと思う。

必死にここまで生きてきた自分をもっと愛していいと思う。

 

もっと自分を愛していい

 

「ストーリー」の「メディア」では

そんなことのお手伝いができるかもしれない

お節介かもしれないが、

「自分の人生に自信をもつ」

「自分を愛す」

そんなことのお手伝いがしたい。

そう思いました。

 

「ストーリー」に特化した「Webメディア」

 

やりたい。

【失敗談】行動力があれば成功すると思ってるのは甘い

大学時代

私は5つくらいのアルバイトに、5つくらいの中長期インターンに参加した。

学生団体にも所属した。

おもしろそうな就活イベントのスタッフなどもやった。

 

でも、

何も得られなかった。

 

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行動力があれば成功すると思ってるのは甘い

 

少し前、興味深いツイートを見た。

 

 

今の若者は将来の夢や職業よりも、「働き方」や「ライフスタイル」に関心が高かったり、はっきりと言語化できる人が多いという話。

私も理想のライフスタイルや働き方に関しては、

誰にも縛られず自由に生きたい、好きな場所で好きな人と働きたい、世界中のありとあらゆる珍しい景色を見たいと、たくさんある。

 

私は、大学でなんか自分の好きなものを見つけて、それを職業にしたいと漠然と考えていた。

だから、大学入学時の私は

幼い頃から大好きだったサッカー以外の

「夢中になれること」

を探した。

 

アルバイトもたくさんやったし、

インターンっていうかっこよさそうなものをやれば、

なにか見つかると思った。

 

「とりあえず迷ったらやる」

という判断軸の元、誘われたイベントには顔を出したりした。

 

でも、

何も得られなかった。

  

ちなみに、学生でできることを全部したか、と言われればそういうわけではない。

例えば、留学には行っていない。

旅行にもそれほど行ったわけではない。

個人的に当時は、旅とか留学で「自分を見つけた」とか言う人が

嫌いだったからだ。(笑)

 

大学の2年は特に将来のことを考えているフリをしていた。

いや、考えていた。

しかし、立ち止まってしまったのだ。

 

インターンや学生団体など、

ずっと動き回っていたから、止まればなにか見えると思ったのだ。

 

バイトなどを辞め、2ヶ月間弱、大学の授業以外ほとんんどなにもしなかった。

したことと言えば、

家に帰り、ネットサーフィンをした。

ひたすら寝てみた。

本を読み漁った。

 

でも、何も見つからなかった。

 

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なんで?

理由はたくさんある。

 

2つ大きな理由があるかもしれない。

 

一つ目は、「夢中になれること」を「探した」こと。

これが少し間違いであったと思う。

「夢中になれること」が「サッカー」みたいなわかりやすい形でひょこっと出てくると思っていたのだ。

 

そんなわけはなかった。

なぜなら「サッカー」が好きという前提がまず間違えだったからだ。

「サッカー」のどこが好きだったかと言うと、

「チームが共通の目標に向かい、努力し、目標達成する」中で「私がチームに足りないところを補完し、目標達成に大きく貢献すること」が好きだったのだ。

「サッカー」が好きではなかったのだ。

だから、まず「サッカー」と似たものを曖昧な形で求め続けた私が

馬鹿だった。

 

「目標」が「目標」になってなかった。

 

 

そして、もう一つの大きな理由はこれ。

「仮説を立てれなかった」こと。

もう少し言うと、

「結果を分析し、仮説をたてて、次の行動プランを作り、実行する」

という当たり前なPDCAをまわせなかったからだ。

(サッカーの時は自然とできていたにも関わらず。)

 

うまく行かなかった時、自分の行動力が足りないせいだと思い、ただ馬鹿みたいに行動してしまった。

これが間違いだった。

しっかり「なんでいまのアルバイトは楽しくなかったのか」を分析し、仮説を立て、行動を移せば少し結果は変わっていたと思う。

 

「なんも考えていなかったの?」と聞かれたら一応「考えていた」と言いたい。

でも、カスみたいな考えだった。

 

「きっと給料低いからつまらなかったんだ」

「お客さんの質が悪いからつまんなかったんだ」

 

そんなカスみたいな分析で、次の行動の仮説をてきとうに立て、ただ闇雲に行動してしまった。

 

行動力だけではだめ。

 

ウダウダと振り返りながら感じることを書いてきました。

これから新生活を前に、就職活動を前に、何かにチャレンジしようとしている人。

なにをしてもいいです。

なにをしなくてもいいです。

でも、“ただ”行動するのは小学生までにしましょう。

 

ちなみに私は「行動力があるね〜」と言ってもらえます。

でも残酷な言い方をすると“それだけ”です。

「行動力」は「幸せ」に直結するわけでもないし、「やりがい」や「成功」にもつながりません。

「本当に実現したいことや夢=行動力があれば見つかる」ではありません。

 

  • 「目標」は明確に。
  • 「行動」は仮説や分析を基に明確に。

 

ご精読ありがとうございました!

 

前回記事:やりがいって? 前向きになる幸せの探し方 - 超凡大学生

ぜひ読んで下さい!