ミスの対処時あるある?(この記事はあまり閲覧をおすすめしません)
だらだらと書いてしまったのでわかりにくいし一個人の愚痴になってしまっています。
閲覧はおすすめしません。
気分を害してしまった方は申し訳ありません。
感じた思いをつらつらと書いただけです。
みなさんはなにかミスをして対処をするとき、どういった流れで次の仕事にいくでしょうか?
今日わたしは自分のミスを対処しているときにすご疑問になりました。
ミス→ミスの認識、謝罪、対処を考える
対処→対処実行
解決→対処によってミスをリカバリーできたかの確認、解決
ミスの解決はこんな流れではないでしょうか。
今回の件、具体的に話すと自分が家族の車に傷をつけてしまいそれを修理に出すときのことです。
一通り謝罪、ミスの認識、対処を考え、対処をし始めた時のことです。
車の修理業者と連絡を取り合いどのようなスケジュールでどのような金額で修理すかなどを確認をとっていました。
そこで私は車の修理の連絡は随時対応できるようにして、次の行動(修理とは無関係)をとろうとしました。
しかし親から「修理が落ち着くまで家にいろ」と怒られました。
私は不思議に思い、こう考えました。
「対処を考え、対処の連絡もとれているし、また業者から連絡があればすぐにでも親と連絡を取り合えればそれでいいではないか、業者からの返信を待っている時間なにもしないのは無駄ではないか?もちろん自分のミスだからきちんと迅速に対応するが、その対処のために外部からの連絡を待っている間なにもしないのは無駄だろう」と。
親の話を聞くと、親はこう考えていました。
「迅速に対処するのはミスした人だから当然。業者から返信が来るまでの時間なにもしないで無駄な時間を過ごしたとしても、それが謝罪の表し方、社会が求める謝罪の仕方だ。返信来るまでの無駄な時間すべて含め謝罪するんだ」と。
私は親の意見を聞きこの話の相違点を感じた
私は「車の修理に焦点を置いている」親は「謝罪に焦点を置いている」
こういうことではないだろうか。
私はミスの認識→謝罪→車の修理の対処法を考える→対処の実行→対処のめどがたつ
ここで次の仕事にいこうとした。
しかし、親はミスの認識から修理の終了まですべての時間をミスの解決に使い、謝罪の意思を伝えることが大事だという。
みなさんはどう思うだろうか。
部下がミスをしたとき、ミスが解決するまで無駄な時間を作ってでも謝罪意を示させるか
ミスの解決めどがたったら次の仕事をふり無駄な時間をなくさせるか
どっちだろうか?
わたしは圧倒的に後者だ。納得いかない意見をうまく聞き入れられない頑固者だ。笑
たぶんゴールの差だろう。
両者の決定的な違いは
私は車の修理を求めている
しかし親は謝罪を求めている
ここだろう。
わたしはいくら謝罪しても車は直らないし、一通りミスを認め謝罪をして、すぐに対処をしたい。
しかし親は、修理も大事だが修理期間ずっと謝罪の意を示して欲しい。
私は納得いかない。
謝罪も大事だが、どうやってリカバリーするかも大事だ。
そしてなおかつ修理業者からの返信の間なにもせずひたすら待っていることが謝罪の意だとも思えない。
つぎの仕事に取り組みながらでも、真摯に対処を進めていればなにも問題はないと思う。
無駄な時間を過ごすよりなにか行動しているほうが私は良いと思う。
今回の件に関しては親と意見が合わない。
対処期間ずっと対処に目を向けることが本当に謝罪なのだろうか
不思議だ。
対処期間他のことをやってでも真摯に対処できていればそれは謝罪の意を示していると思う。私は。
社会に出ていけないぞとかも言われた。
社会とはそういうものなのだろうか。
仕事をミスしたらずっとそのミスの対処をし続け、なにもしない時間を作ってでもそのミスの対処をしていることを求められるらしい。
私が上司だったらそんなことはしないな
もちろん謝罪はしてもらうし対処もしてもらうが対処のめどがたてば次の仕事をふり仕事をしてもらう。謝罪先から返信を待っている間なにもしないなんて時間がもったいないので、謝罪の対応と次の仕事を同時進行してもらう。
私はそうしたい。そんな謝罪先からの返信をなにもせずに待っていることが謝罪だとは思わないからだ。
結果としてしっかり迅速に対処できたのであれば、それが一番の謝罪の意を示している形だと私は思う。
ここまで書いていると
結果主義、プロセス主義という2派が浮かび上がってきた
私は結局、きちんと対処できたか(結果)を重視している
親は対処中(プロセス)を重視している
会社ではプロセスを求められるらしい(親談)
無駄な時間も謝罪の意を示しているらしく、会社はそういう謝罪も求められるらしい。
私はそんな会社はいやだ。
だらだらとすみませんでした。