マーク・ザッカーバーグのスピーチがどれだけ私に響いたかを上手く表現できない
久しぶりの更新です。
マーク・ザッカーバーグのスピーチに痺れた。
ざっくり言うと、
「すべてのひとが目的感を持てる、世界にしよう」
っていうテーマでしたね。(Sense of Purposeを連呼してた。笑)
ネットサーフィンしてたら、
AppleCEOティム・クックのMIT2017卒業スピーチがあって、
それもすごいよかった。
しかし、見終わった後、横にある
おすすめ一覧に
FacebookCEOマーク・ザッカーバーグのハーバード2017卒業スピーチがあって
それも見た。
そしたらもうなんか、惹かれちゃって。
完璧に聞き取れたわけじゃないですが、まあ理解できた。
聞いてたらあっという間に30分が過ぎてしまった。
そのスピーチは本当に、心揺さぶられるものでした。
ぜひ、見てください。特にミレニアル世代。
↓
そして見終わって、余韻に1時間位浸ったあと、またネットサーフィンしてたら
このようなサイトに出会いって、共感しまくりました。
自分もスティーブジョブズのあのスピーチレベルだと全く同じこと考えました。
(くらもとさん、勝手にURL使わせもらって、貼らせてもらって、すみません。)
スピーチの和訳も記載してあるので、ザッカーバーグのスピーチの後、見るのがおすすめです!
「みんな人生の目標持たなきゃだめなんてわかってるでしょ?
みんなが人生の目標、自分の人生に意義を感じれられるような、そういう世界にしていこうよ」
と。
ぼくはマーク・ザッカーバーグ教でも社会貢献大好き人間でもないです
どちらかといえば、ボランティアとか、あんまり好きじゃないです。
しかし、このスピーチにはそんなことを超越したものを感じた。
ここから先はいちいち、「偽善的に思えるかもしれない、、けど、、!」
とかは書かない、そういうことについての言及はくらもとさんの方にも書いてあるからそっちを見といて欲しいです。偽善者だとか考える人がいるのはわかってるけど、書きます。そういう批判もおもしろいのですが、今ここでそれについて議論したくないので、それは勘弁してください。
どんどん社会はテクノロジーなどの進歩で動き、変化してる。
その中で、私たちは生きる目的、存在意義を探しています。
それを追い求めるのは、ミレニアル世代なら本能的にやってる。
みんな必死に就活して、留学して、走って、歩いて、時々休んで。
みんな頑張ってるよ!本当にそう思う。
そんな中で、目的を持てない。人生に意義を求められない、人が
世界にはいる。
以前私は、ブログでこんなことを書いた。↓
onehundredandninetyeight.hatenablog.com
私が考えられることなんてこれっぽっちだった。
自分の人生に意義を見いだせない。
日本の7割(私の感覚)の人はそういうがそれは少し甘えてないか?という感じの話だ。
ほとんどのことがインターネットなどのおかげで、
手軽に、無料や低コスト、
で享受できるこの時代に、
スキルなんてどこで学べるのかわからない、時間がない、頭いいやつらは生まれたときからの教育格差だ、とかとか、、、
それは少し甘えてないか?という問題提起だ。
記事内で私は、
1,インターネットに接続できない
2,マズロー的欲求段階でいうと、生理的欲求、安全欲求が確保されない
この状況下の人が、上記のような「スキルなんてどこで学べば、、」や「教育格差だ、、」とかいうのはもっともだ。と記述してる。(はず)
マーク・ザッカーバーグと共感するとこはここだ。
(ここ以外にもあるけど、ちょうど自分の記事と少しかぶるとこがあったから)
マーク・ザッカーバーグが言う
「人生の意義を見つけようとすらできない人」「目的感を持てない人」
といいうのが私の「1,2、に該当する人だ」
そしてザッカーバーグは
そういう人だって平等に、存在意義、「人生の目標」求めて良いはずだ、
すべての人が平等に目的感もって生きてもいいはずだ!
と言っている。
間違いなく、私もそう思う。
そして私たちの世代も先々代がゆっくり築いてくれたような
人種の平等(マーティン・ルーサー・キング)というような
そういう社会的使命があると私も思う。
いろんな世代が、いろんなことを成し遂げてくれた。
肌の色はなんでもいい。人種の平等。
誰だって生きていい。生存権の確立。
財産をもってもいい。私有財産権
投票権の平等、住民権の平等、、、、etc
そういうことを地道にやってきた先々代と同じように
我々ミレニアル世代も、我々の社会契約を結ぶべきだ
その社会契約を、我々ミレニアル世代の使命を、
「目的感の平等」「目的を持てる機会の平等」
である、と語った。謳った。
間違いない。私は「間違いない、その通りだ。」そう思った。
そして今、目的感が不平等な世界の、そのどこかでで、1,2などの理由で、目的感を見いだせずにいる人がいるならば、
目的感を持っているのにどうしてもそれをできない人(スピーチ中では不法移民の子ども)がいるならば、
他のぼくら全員がそれを背負い、代替していく責任を負うことになるのではないのだろうか!!!
というザッカーバーグでさえ涙があふれてしまうこの言葉。
心を打たれた。
というか、心にぐさっときすぎて辛かった。
「目的感」の平等化を目指そう、平等化をみんなで支えよう進めよう
そして平等にならないうちは代替しよう、代替していく責任を負おう、そして出来る限り手を差し伸べよう
個々のやりたいこと、好きなことをする前に目的感の平等化に従事しろとか
寄付しろとか、ボランティアしろとか、
そんなことをザッカーバーグは言っているんじゃない。
むしろ、「寄付とかはぼくみたいに金があったら、でいいんじゃね」スタンスだと思う
もっと身近な「ローカルなコミュニティの再建」が必要なんだと。
自分の1つの部屋から始まった大学内コミュニティツール「Facebook」が、まさか人類を繋げることができる「Facebook」になるとは、というFacebookCEOザッカーバーグだからこそ特に感じるのではないのだろうか。
くらもとさんはこうまとめている
「正しいことだからやるんじゃなくて、自分の可能性を追求できずにいる人が一人でもいたらそれは社会の損失だし、その人がそれを実現できたら社会全員が助かるからこそやるんだ」というメッセージ・・・この論法はついつい縮小均衡的な自己規制に走ってしまいがちな日本人・日本社会にとって、非常に眩しく映る「アメリカならではの価値」だと思いました。
私は思う。
各々が人生の目的に向かい走っていい
起業してITとなにかを組み合わせて世界を変えたいならしていい
サッカー選手になって世界中の子どもに希望を与えたいならそうしていい
恋愛の会社を創って、多くの人が愛というものを感じるれるようなお手伝いがしたいならすればいい
そう、目的をもって目的を追っていいんだよ。
目的こそが幸せを作るんだ
でも、1年に1回でもいい。
その幸せを享受できない人がいることを感じて欲しい
目的感を得れない人がいる人を思い出してほしい。
そして、私たちは社会の構成員だ。
そんな人がいるのは、そんな人ができてしまうのは社会の責任だ。
構成員の私の責任だ。
責任を負おう、代替しよう、できるなら手をさしのべよう
マズロー的に言えば
人類史上はじめての世代だ。
だから、我々も次の世代にはこれ以上のなにかを残そう。
「社会的欲求」を満せるようになろう。
だれしもが、社会から人として認められ
だれしもがどんな集団に属してもよくて
だれしもが、上記の環境下で「人生の目標」を持てて
だれしもが、上記の環境下で目的感を持って生きていいんだよ、と認めてもらえて
だれしもが、高次の欲求「尊厳欲求」「自己実現欲求」(=夢、人生の目標、目的感)を持てる
そんな世界にしていこう
なにしたっていい。
一人ひとりが様々な人生を送れるミレニアル世代、
各々が目的感を持って走れるミレニアル世代が
究極的に、どこかで、知らない内にでもいい
「目的感の平等化」に参画してほしい。
というよりは、各々の目的感を走って入れば必然的に
「目的感の平等化」に参画しているだろう。
私は私で目的感を持ち、これから自分の人生を突き進む
そして、がむしゃらに走ってて、気付いたら目的感の平等化に参画していたい。
そして気付いたときには、意識して手を差し伸べられる人間になっていたい。
今日もがんばろう