超凡大学生

意識高ぶってる大学生のつぶやき

好きなことで、生きていく

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そこらへんにいる大学生の独り言

好きなこととは

好きなこととはなんでしょう。

人それぞれあると思います。

そして、好きなことが本当に全くない人に私は未だに出会ったことありません。

どれくらい好きか、とかそこんとこは本人しかわからないので確認できませんが、

これが好き、こういうのが好き、こういうことしてるときが好き、こういうことしてもらってる時が好き

色々形はありますが、「好き」とは「きっとだれしもが持ってるなにか」でしょう。

(ものっていうと、物質的なものに限られそうですが、目に見えないものも含みたいので、敢えて「なにか」と表現しています)

好きなことをしているときって

人によっては時間を忘れたり、視野がめちゃくちゃ狭くなったり、色々な症状が現れていると思います。

私は、「好きなことと」は「生きていることを実感できること」だと思います。

そして同時に「生きていることを忘れられること」だとも思います。

実感できる、というのは「このままずっとこうしていたい」とか、「最高!(生きてて)よかった!」といったかんじでしょうか。

忘れられる、というのは「気付いたら終わってた!」とか「体力が無限だった」といったかんじでしょうか。

「好きなこと」とはそういった「人生を実感し、人生を忘れる、こと」かもしれません。

生きていくとは

生きていくとはまあそのまんま、生きることでしょうか。

生きることは昔は簡単だったのです。(迷うことはあまりなかったということ)

ホモ・サピエンス全史」を立ち読みして学びましたが、

人間は狩猟採集生活をしているときは今を生きるのに必死だったので、そんな「生き方」なるものはたくさんありませんでした。臨海部中心で生きるか、山岳地帯中心で生きるか、くらいの選択はできたかもしれませんが。

人間はある日狩猟採集生活に疲れ、コムギが比較的安定した食料供給をしてくれることに気付いてから、移動型の生活から定住型生活に生き方を変えました。

するとなんと、身体的安定の代わりに精神的不安定を手に入れました。

いままでは食料が不足したら狩猟したのですが、もうそんなことはできずコムギが育つか育たないかにビクビクするようになりました。

その日から人間は来年の収穫の予想や害虫からの予防などを考え始めました。

そう、今ではなく中長期的な「将来」について考えざるをえなくなったのです。

これが発達していき、現代で言うと、「どうやって生きていくか」について考えざるをえない、というものになったのです。

この記事では別に「今のために生きる狩猟採集生活」と「中長期的に生きることを考える農耕生活」のどっちがいいとか、どっちが正しいとか、そういうことについて話したいわけではありません。

ただ、(一種の農耕生活である)現代を生きていくためには「中長期的な将来について考えて生きる」ことは必須なのです。これは避けられません。

あなたが森のなかに単身なにも持たず乗り込めば「今のために生きる」ことができます。(私はこれを疑似体験できるものが「旅」だと思っています。)

話を強引にまとめると、(現代)を「生きていく」とは「中長期的な将来について考えながら生きる」ことだと思います。

好きなことで、生きていくとは

いままでの流れから、考えると

「好きなことで、生きていく」とは

「人生を実感し、忘れながら、中長期的な将来について考えながら生きていく」です。

なに言ってるのかわかりませんね。笑

さて、ここで冒頭のYouTuberの方たちを観てみましょう!

どうでしょう?人生を実感し、忘れているでしょうか?

中長期的な将来について考えながら生きているでしょうか?

私は彼らを観ている限りそう思います。

いまできる自分の最高の状態で“人生”を強く体感しつつも、その体感はあるようでないに等しく、一瞬で過ぎ去っていく。

「今」を生きすぎて「今」を忘れている、てきな。

そんでもって、次はどんな“最高の自分”に出会えるのか中長期的に考えて生きている。

中長期的にどうやって“自分の今”を生きていくか(将来)を考えて生きている。

と、私は思います。

「自分の“今”を生きつつ、将来の“今”を考える生き方」

そう、

「狩猟採集型の生き方と農耕型の生き方のハイブリッド型の生き方」

これが「好きなことで、生きていく」ではないでしょうか。

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まとめ

では、「好きなことで生きていくこと」が最高の生き方なのか

それはわかりません。

しかし、私はこの生き方がとてもしっくり来たのでこの生き方をします。

人それぞれ考えることはあると思うので別にこの生き方を強制させたいわけでもなんでもありません。

生き方ってたくさんあるし、その人が自分で好きな生き方を選択していいと思う。

ただ、「私は」この生き方が「素敵だなっ」て、「私は」率直に「思った」のでこの生き方をしたいと思いました。

この決断のときにも「素敵か素敵じゃないかで自分の人生を決めるのか?」とか色々考えましたが、客観的で絶対的な判断基準って中々ないですよね。それこそ幸福が客観的で絶対的(と言われている)な単位である「数字」で測れないのと一緒で。生き方とか決める時に、なんか絶対この価値判断基準に従わなくてはならない、てきな法律だったりなんかありましたっけ?

特にいまのとこ(無宗教の)自分にはそういうのはないと思われるので、めちゃくちゃ主観的な「素敵だな」って思ったこの生き方を選ぼうと思います。

そして

「自分の“今”を生きつつ、将来の“今”を考える生き方」

「自分の“サッカー”を生きつつ、将来の“サッカー”を考える生き方」

そう、サッカーを職業に。

 

続きは明日。。。

 

(私は読んでいる方がイメージしやすいYouTuberをあくまでも例としてあげていますが、本当に彼らが今を生きているかとかはわかりません。みなさんの周りに好きなことで生きてる人がいて、それがわかりやすければそれをイメージしてもいいし、なんでもいいです。なんとなくロールモデルぽい人たちとしてYouTuberを選びました、違ってたら「YouTuber」ってとこは読み飛ばして「人生を楽しんでいる人」とかで代用してイメージして読んでください。また、もしかしたら身体的な障害かなにかで生き方を選択することができなくて、、、とかあるかもしれません。そういう方に、生き方はたくさんあるだとか、生き方は選んでいい、といった言葉はご迷惑でなおかつ不快かもしれません。あらかじめお詫び申し上げます。)