超凡大学生

どこにでもいそうでいない大学生のつぶやき

気持ちの大事さ、本気の重要性

今回は“サッカーを仕事に”を休ませてもらう

 

先日あるサッカーの大会に出場してきた。

 

私が所属しているサッカークラブはかなり人数が多いため、5チームを大会に登録。メンバーをサッカーの上手さ順にAチーム、Bチーム、Cチーム…と分けた。

私はCチームであった。

 

大会にはかなり多くのチームが登録しており、約90チームが参加したと聞いている。

結果的に私のチーム(Cチーム)は約90チームの大会を闘い、5位に名を連ねることができた。

 

私の個人的感想はここにはあまり書く気はない。

しかし、すべてのことに通じて言えるものをこの大会で学ぶことができたと思ったから、綴る。

 

たかがサッカー大会で学んだことは「気持ちの重要性」「本気になることの重要性」だ。

 

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そして、それは去年学んだつもりになっていたことでもある。(↑去年の記事)

去年は本気になれないことを2ヶ月やり通したけど、あまり得るものはなかった。

そしてその事象から「本気の重要性」を学んだ。

今年は本気になれることを2ヶ月やり通して、たくさんのものを得た。

そしてその事象から「本気の重要性」を学んだ。

 

では、今年具体的になにが得られたかというと一番大きなものは「支えてくれる人」だ。

人は本気で頑張っていると不思議なことだが、誰かが支えてくれるのだ。応援してくれるのだ。嘘だと思うなら、ぜひ試してみて欲しい。なにかを本気で頑張ってみて欲しい。

お説教をしたいわけではないのでここではそれ以上踏み込まない。

 

とにかく、本気になると色々な人が手を差し伸ばしてくれる。

そして「またサッカーを一緒にしたい」や「今度遊びに行こう」「LINE教えてよ」といったことに繋がっていく。

 

要は本気になると「支えてくれる人」が得られるのだ。

これはサッカーだけに限定しないとも感じた。

例えば、本気でサービスを開発したら「一緒にサービス作ってみたい」や「今度遊びに行こう」「名刺ちょうだいよ」といったことに繋がるんではないだろうか。

 

そうすると、「本気」は「自分のファンを作れる」(支えてくれる人)という方程式が浮かんでくるだろう。しかしこの結論に行き着くには少し早い。

 

小さいだれでもできるようなプラモデル作りで本気になっていても「ファン」はできない。

本気で、“人が見えるようなところ”で、“人に実は何かを与えている”と、「ファンができる」のではないだろうか。

 

私は、本気のサッカーで「私のファン」を作った。そのメカニズムは

本気で、みんなが見てくれる前で(ピッチ上)で、勝敗などによる感動(感情の動き)を与えていた、から

だと思う。

 

いくら私が本気でサッカーをしてもだれも見ていなかったら、だれも私のファンにはならないだろう。

また、私がいくら本気でやってても観客の心を揺さぶるようなプレー(本気度が伝わるような表情、態度など)がなければ、だれも私のファンにはならなかっただろう。

 

「本気の重要性」とはただ本気になればいいというものではない。

「本気」をだれかが見てくれて、そして評価してくれて、やっとその「本気」に「重要性」を帯びる。

 

そして私の「幸せ」を構成する要素の1つに「私のファンがいる」ことが重要であることも今回のサッカーの大会で感じることができた。自分はそういう人間なのだと自分に対しての知見を得られた。

 

 

今後、就職活動でもなんでも、これは大きな自分の判断基準にしたい。

「本気になりたい」「私のファンがいてほしい」

これが相互作用する行動をできるだけとりたい。

本気になるから→ファンがいる。

ファンがいるから→本気になる。

 

明日は本気にはどうやったらなれるの?を考えたい

 

徒然なるままに書いたのでメモみたいになってます。