超凡大学生

どこにでもいそうでいない大学生のつぶやき

頑張るハラスメント

明けましておめでとうございます。

 

皆様のご健康を本年もお祈り申し上げます。

 

また、2018年も何卒宜しくお願い申し上げます!

 

さて、記事のタイトルの通り、今記事は「頑張るハラスメント」について書こうと思います。

 

なぜ今日書くのかというと、それは年末からこの年始にかけて

日本にこの「頑張るハラスメント」が蔓延するからです。

 

では目次から本題に入っていきましょう!

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頑張るハラスメントとは?

「頑張るハラスメント」

頑張るハラスメントとは?

頑張るハラスメントの具体例

頑張るハラスメントの歴史

頑張るハラスメントについて思うこと

まとめ

頑張るハラスメントとは?

まず、私たちが何げなく使っている「パワーハラスメント」「セクシャルハラスメント」といった言葉の語尾につく、「ハラスメント」の意味を確認しておきましょう。

 

ハラスメントの語源は、英語「harass(~を悩ませる)」の名詞形「harassment(悩ませること)」です。

オックスフォード英英辞典によると、

「especially continuously or on many different occasions」

という補足説明も付いており、これを和訳すると「継続的またはさまざまな機会において(相手を悩ませる)」という意味になります。

従って、ハラスメントという言葉には、「反復性のある嫌がらせ」というニュアンスが含まれています。

 

また、「頑張るハラスメント」は頑張る+ハラスメントですが、「頑張るハラスメント」とはなんでしょう?

セクシュアルハラスメント

セクシュアル(性的発言・行動で)+ハラスメント(本人が意図する、しないにかかわらず、相手を不快に思わせ、相手に自身の尊厳を傷つけられたと感じさせる)

=本人の過失度に関わらず、性的発言や行動でだれかを悩ませること

です。

そのため、私が「頑張るハラスメント」を以下の通り定義します。

頑張る(という安易なアピールや無責任な「頑張れ」という発言で)+ハラスメント(だれかを悩ませる)

=頑張りを強制しだれかを悩ませること

頑張るハラスメントの具体例

簡単に話すと、頑張るハラスメントとは頑張ることの強制です。

大きく分けると2つあります

  1. だれかからの無責任な「頑張れ」という発言による頑張りの強制
  2. だれかの「頑張る」アピールによる頑張りの強制

だれかからの「頑張れ」という無責任な頑張りの強制は以下の記事で具体的に述べられています。

www.amamiyashion.com

記事引用:雨宮紫苑様・91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター

引用させて頂きました。大変参考になりました。ありがとうございます。

また一方で、「だれかの頑張るアピールによる頑張りの強制」ついて話します。

皆さんも一度は見たことあるのではないでしょうか。

年末や年始 の「私来年○○頑張る!」や「来年の抱負は〜」というやつです。

「だれかの頑張るアピールによる頑張りの強制」というのは、それらによって「え、私、目標も抱負もない。私ってダメなのかも」てきな感覚を抱いてしまい「私もなにか頑張らなくてはいけない」という強迫観念にかられることです。

「頑張れ」は直接的な頑張りの強制である一方、「頑張るアピール」は間接的な頑張りの強制であると私は考えました。

ちなみに一応注釈を書きます。

「頑張れ」と言った側に悪意がないのはわかります。でもその無責任な「がんばれ」を100人に言われたら、それはもう努力の強制です。潰れる人もいる、と私は思います。

また、「頑張る」とアピールした側に悪意がないのもわかります。でもそんな「頑張るアピール」を100人分くらい見てしまったら「私もなにかに頑張らなくてはならない」と感じてしまう人もいるでしょう。それはもう頑張りの強制かなと私は思います。

「頑張れ」と言われて「頑張らなきゃ」と思わない人や

「頑張る」とアピールされて「おれも頑張らなきゃ」と思わない人は

今記事に全く関係ないのでどうぞここで読むのをお止めになり他の記事かなにかへどうぞ!

また次回記事をお読み頂けたら幸いです。ありがとうございました。

 

 今記事の続きはこちら↓

頑張るハラスメントの歴史

頑張るハラスメントというのはいつからあるのかな、と少し調べましたがもちろんそんな文献は見つかりませんでした。笑

ただ自分の考察としては、新石器時代らへんの「農業革命」の頃からかな。と思います。

なぜならその頃から「人」は「意識して頑張る」ようになったからです。

農業革命の頃から人は将来のことを考えるようになりました。今まで狩猟生活でその日暮らしだった人は、農耕により少し安定的な生活を手に入れたという話です。

要は毎日頑張って生きていた狩猟生活から時々頑張らなくてもいい農耕生活になったのです。

これは「人」が「当たり前に頑張っていた人」から「時々頑張る人」に変わった歴史的転換点かな、と思います。

従って、農業革命の頃から人は「頑張る」ことを意識しはじめ、人に「頑張れ」と言うようになったのではないのか、と考えました。

頑張るハラスメントについて思うこと

まず、これには日本の同調圧力のようなことも関係するのかな、と私は考えます。

2017年末、SNSで私の多くの友人が「来年は○○頑張る」と語っていました。

そこには「おまえも目標宣言しろ!」「え、あなたも来年なにか頑張るよね?なに頑張るのか教えて(宣言して)!」「頑張るアピールする俺かっこいい。おまえは?」というようなことを少し、私は感じました。

(ここまで言語的に捉えているのはごく少数だとは思いますが、“ノリ”のようなかんじで「俺も来年に向けて目標とかインスタに載せようかな〜」と考えた人はいるのではないでしょうか)

実際、私はそういったSNSの投稿を見て、「私もなにかに頑張らなきゃ!」「頑張る投稿(アピール)したい!」と強く感じました。

しかし、なにを頑張るのかあまり鮮明に浮かび上がってこず、悩みました。そこで

「あれ、なんでおれ頑張ることいま言わなきゃいけないんだろ?」

「頑張ることって宣言しなきゃいけないんだっけ?」

「頑張ること決まってないと人間としてダメなの?」

など、私は悩みました。

これが今記事を書くことになったきっかけです。

まとめ

じゃあSNSで頑張る宣言するのをやめろって言うのかおまえは?

と言われると思います。

しかしそれに関して私の中でもあまり答えがまだ出ません。

問題提起までしかできません。申し訳ありません。

なにしろ人の頑張る宣言によってむしろ良い影響を受ける人もいるからです。

また、頑張る宣言を多くの人にし、自分に発破をかけ奮い立たせる人もいます。

SNSや周囲の人へ向けた発言の「使い道」が人それぞれである以上、

安易にSNSやリアル上での頑張るアピールを禁止にすることもまたそれはおかしい気がします。

 

ただ、直接的な「頑張れ」という頑張るハラスメント以外にも

頑張るハラスメントが実際にあることはたしかかと。

 

ただ、昨今のなんでもかんでもハラスメントをつけて問題化する流れもなんか嫌だしなあ。

この記事読むと

悩むこと=悪いこと

みたいな感じで書いてしまっているしなあ。

別に頑張ること見つけようと悩む事自体そんなよくないわけでもないし。

難しい…