【落合陽一】自分のポジションをとらないと、なにも始まらない
評論家になるな,ポジションを取れ.
— 落合陽一の言葉 (@ochyai_meigen) September 8, 2018
このツイートを見て本当に共感できるなあ。と思った。
僕はここ何年間か多くのチャレンジしてきた
それは、プログラミングであったり、ライティングであったり、仮想通貨投資であったり、ボルダリングであったり、DJであったり…etc
その度に良いことも悪いことも体験し、学びを得た。
ただ、毎回思うことは、
「これやりたいです」
「これが好きです」
と言わないと何も始まらないということだ。
僕がDJをはじめた理由は
音楽が好きということ。
また、その中でもEDMやヒップホップをよく聴くということ、
が挙げられるかもしれない。
ただ、それだけではDJはやらなかったと思う。
昨今は「パリピ」という言葉がひとり歩きし、
EDMが好き、というだけで
チャラい、遊んでそう、といったレッテルが貼られる。
「クラブに行く」「DJ」という単語もそういうたぐいだ。
僕は人からの評判を気にしやすい人間だったから、
「DJに興味がある」なんて誰にも言えなった。
親しい友人にさえ。
よくわからないけどなんか恥ずかしかったし、
後ろめたいことをするような気分だった。
そんなある日、親しい友人とごはんを食べているとき、音楽の話になり大いに盛り上がった。
そして、友人から一言
「○○(僕)って、EDMとかDJの話してる時本当に楽しそうだよな〜!サッカーしてる時とかによく似てる笑(ちなみに僕はサッカー大好き人間です)」
その一言にビビっときた僕はその親しい友人に打ち明けた。
「実はDJやってみたくて…」
それからは面白いくらいトントン拍子で話がすすんだ。
「友達が渋谷とかでけっこう有名なDJとしてやってるから紹介するね!」
また、気付いたらもうひとりの親しい友人もその話を聞いたらしく
「アーティスト写真とかあったほうがかっこいいし、集客につながるんじゃない?今度ミスコンとかの写真撮ってる友達紹介しようか?」
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その一方、
一部の友人には
「DJやるんだって?チャラ!どうしたのいきなり?(嘲笑)」
「DJってかわいいことヤれるの?笑」
と言われた。(けっこうメンタル的にやられます。)
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その中でも、「楽器は弾けないけど、音楽で人を魅了したり、感動させたり、楽しんでもらいたい」
そういう思いを僕は誠実に伝えるべき人に伝えた。
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そして
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気付いたら僕は六本木の大きなクラブに立っていた。
なんと友達に「DJに興味が…」と話してから2カ月後のことだ。
こういう話をすると、「友達に恵まれた」とか色々言われる。
もちろん友達の力は大きかった。
そこはまったく否定するつもりもない。感謝し続けている。
ただ、事実、親しい友人以外にもたくさんの人を巻き込んだことをしっかり伝えたい。
1年以上会っていない顔見知り程度の友人?にもLINEを送り、協力を求めたり
知り合いの友達の友達までなんとか連絡をとり、お会いしてもらったこともある。(お互い誰?ってかんじ。)
時には、ネットワークビジネス関連の人にたどり着いてしまい、その人のコミュニティのパーティーにも参加した(めちゃくちゃこわかった。)
結果的にすべてがいろいろ繋がって、DJになり、六本木でまわすことができた。
だから、「友達に恵まれた」だけではない
そこには自分の行動力があったし、
友達以外の赤の他人、大人の協力があった。
本当にそう思う。
そして、その行動力の源であり、大人が僕に協力してくれる理由が
「DJをやりたい」
「音楽が大好き」
という僕の正直な気持ちだったと思う。
ちゃんとこの気持ちを伝えた。
批判や嘲笑はとてもあった。
それはそれは偏見の塊だった。
被害者ぶるように見えるかもしれないが本当に傷ついた。
「DJをやりたい」と言うだけでこれだけ笑われるとは思っていなかった。
さらにその影響から「DJで忙しそうだから…」と言って、遊びに誘われないこともかなり増えた。
これはかなりメンタルにきた。
「DJ」というだけで仲間はずれにされたからだ。
それでも僕は、「音楽が大好き」「DJをやりたい」と言い続けた。
ポジションをとった。
友人から馬鹿にされても僕は「ミキサーやらなんやらで、音楽を流し、人を魅了する人」というポジションをとった。
そして、そこから全てがはじまった 。
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【言いたいこと】
「なにかをやりたい」と言う(発信する)ことは、その「なにか」に偏見を持っている人から嫌われたりすることがあるということ。
今回僕は「DJ」であったが、これが「アニメ」とかでもそうだ。
「アニメなんて」と偏見を持っている人から怪奇な目で見られるだろう。
考えてみれば、なんでもそうだ。
僕が18年間やってる「サッカー」も
「サッカーなんてなにが面白いの?野球だろ」と考えて生きてきた人には、僕の人生なんて不可解だろう。
そう、なにか自分の中の「意志」を「発信」した瞬間、必ずそれを理解できない人がでてくる。
それはしょうがないことだ。
違う人間で、違う人生を生きているから、違う考えを持っていてしょうがない。
ただ、他人が違う考えを持っているからと言って、自分の考えが「間違い」であったり「変」ということではない。
理解できない人がいても、恐れず自分の「意志」を「発信」し続ける。
これを「ポジションをとる」と言うと思う。
嫌われたくないからといって
「サッカーもいいし、野球もいいし、卓球もいいし、、、」と言っていてもいいが、それではなにも始まらない。
たぶん僕が
「DJとかちょっと恥ずかしいことかもしれないんですけど、ちょっとやってみたいな〜とか思ってて、EDMだけじゃなくて、クラシックも大好きかもしれないし〜、、、」
とか曖昧な発信をしていたら(曖昧なポジションをとっていたら)、
きっと六本木でDJなんてできなかったと思う。
そう。だから、
「サッカーはこんなとこが良いし、あんなとこが悪い。野球もいいとこはあるし〜」とか言う評論家ではなく、
「僕は○○が好き」とポジションをとれ。
自分の人生にアクションを起こしたくない人にとってこの文章は無縁だろう。長々と申し訳ない。
今の自分の人生にアクションを起こしたい人にはなにか感じてほしいです。
【ちなみに】
「批判や嘲笑」はまじで萎えます。
これは本当。
「嘲笑とか気にならなかったよ〜」とか言う英雄談みたいにするつもりはぜんぜんないです。
本当にきついです。
僕は萎えまくりました。
あと、僕はサッカーのことまだまだぜんぜん大好きですけど、一定数のサッカー好き友達から距離を置かれて、本当に今も悲しいです。
サッカー好きの気持ちは全く変わっていないんですけどね…
こういうことはできれば避けたいことだけど、なかなか僕は避けれませんでした。
かなりきついです。
そういったことも含め、
「ポジションをとる人」「ポジションをとろうとしている人」を僕は本当に尊敬しています。