自分をもっと愛していい ストーリーに特化したメディアがやりたい
私は
人の「ストーリー」が好きです。
チームの「ストーリー」が好きです。
ストーリーとは
この記事でいう「ストーリー」というのは
インスタグラムの「ストーリー」機能ではなく、
個人や集団が描いてきた過程(人生)です。
ちなみに私にとっての「ストーリー」とは
「この世の中に同じものが一つもない心を動かす“こと”」
です。
ちなみにある英英辞典では
「Story」の英訳の一つとして
「a message that tells the particulars of an act or occurrence or course of events」
(=「その行為や事象の発生または経過の旨を伝えるメッセージ」)
です。
そう、ストーリーは「メッセージ」だとも思っています。
どこに惹かれるのか
人はそれぞれ自分が見た世界を生きています。
なぜなら、
人は地球上に唯一無二です。
同じ人生を歩んできた人は決して一人もいません。
チームは結成されてからチームが見た世界を生きています。
チームとは唯一無二の個人が集まってできる集団です。
だからチームも同じチームは地球上に決して一つもありません。
従って、
人やチームが歩んできた「経過」「道」「人生」=「ストーリー」
は地球上で唯一無二です。
世の中に唯一無二な“こと”って多くない。
「ストーリー」はダイヤ1カラットとかよりぜんぜん希少性が高いんです。
人間は唯一無二なことに惹かれる。
私はそう思うんです。
特に私は惹かれます。
不謹慎でも好き
このようなことを書くと
「ストーリー」を「成功体験」を勘違いしてしまう人がいますが、違います。
誤解を恐れず言うならば、成功も失敗も含めた「ストーリー」が好きなんです。
失敗の「ストーリー」を「好き」と書くと「不謹慎」と言われるかもしれません。
否定しません。不謹慎かもしれないです。
ただ、念のため言いたいのは人の失敗を軽く見たり、人の失敗を喜んだりしてるわけではないということ。
「失敗」の「ストーリー」を含めた「人」の「ストーリー」(=人生?)が好きです。
(そもそも「失敗」って何、みたいな話は割愛します)
「ストーリー」に特化したメディアってありそうで、ない
下記のメディアは大好きです。しかし、自分としてはもの足りないというかんじです。
もっと深掘りしたいんです。
自分のイメージとしては、下記記事です。その人の「ストーリー」が伝わる。「メッセージ」のように。
「AIが人間を超えるなら、ほとんど人間は働く必要がなくなる。そう考えたら、今会社で働く意味が、一気に分からなくなった」
誰もが一度は考えたであろう「AIあるなら働く意味って…」という考え。
久野太一さんもそう考え、「道」「ストーリー」(人生)を歩んだ。
久野太一さんのこの「ストーリー」はもはや何かを伝えている「メッセージ」ではないだろうか。
久野太一さん自体がもはや「メッセージ」。
そんな感覚を私は覚える。
そして心を動かされる。
実際にあれこれ考えて、行動を起こし、生きているという、まるで記事自体が生きているんじゃないか、というような感じ。
私はこの記事にとても心を打たれた。
そして私はこのような「ストーリー」をもっと知りたい。
ストーリーが求められる世界
もちろん
人によっては良いストーリーと感じる「ストーリー」も、悪いストーリーと感じる「ストーリー」もある。
ただ、今の世の中的に、
人はそういった「ストーリー」を求めているし、
逆に人も「ストーリー」を語りたいんじゃないだろうか。
(無理して語らせるべきではないし、無理して語るべきでもないとは思っている。そこは配慮しているつもりだ)
なぜそう思うかというと、こういった番組が最近人気を博しているからだ。
(テレビ東京すごい…!)
国内、国外の人が「実はこんな人生歩んできました!」というのを伝える番組
(雑な説明ですみません)
私はこの番組の「色々な人の色々な人生を伝える」というポイントが好きということです。
(ネットで批判される「日本称賛番組だ!右翼的だ!」てきなところについては言及しません。)
やりたいこと
私はこれをテレビではなく、Webメディアとしてやりたい。
「ストーリー」に特化した「Webメディア」をやりたい。
色々な人の色々な思いを知りたい、伝えたい
色々な人の色々な人生がぎゅっとつまったメディアをつくりたい
冒頭であえて人だけでなくチームも書いたかと言うと、チームのストーリーもやりたいから。
色々なチームの色々な歩み「ストーリー」を知りたい、伝えたい
色々なチームのストーリーがぎゅっとつまったメディアをやりたい。
いつか、自分のストーリーも書きたい(今は諸事情で書けない)
いつも感じること
もちろん自分が「知りたい」という気持ちが今大きな「やりたい」につながっているが、それだけでない。
現在私は就職活動中。自分も就職活動を進めるし、友人も就職活動を進めている。
そんな中で相談されやすい私は相談相手として色々な人の半生を聞いたりするのだが、
いつも感じることがある。
それは
「なんて素敵な人生を送っているんだ」
「なんでこんな素敵な人生を歩んでいるのに、だれかの人生のいいところだけと自分の人生を比べて、落ち込んだり、自信を失くしてしまっているのだろう(自分も含め)」
「もっと自分の人生に自信って持てないかな」
「自分は自分だし、だれかはだれか。比べずに、自分の人生にもっと自信を感じることはできないかな」
「ストーリー」に特化した「Webメディア」
そんな思いから、「ストーリー」の「メディア」をやりたいと考えている。
私は多くの相談を受けた結果、ある程度「自分は自分」と考えることができるようになった。(まだまだだが。)
なぜならやはり多くの人の話を聞くことができたからだ。
自分のストーリーの一瞬一瞬の苦しみとか喜びは、正直だれにも完全にはわからない。
逆も然り。だれかのストーリーの苦しみとか喜びは、正直完全にはわかってあげれない。
これは諦めではない。
もちろん人のストーリーを聞く時、出来る限り苦しみとか喜びをイメージし、共感したり、なにかしらする。
しかし、完全にその人の痛みとかを味わってあげることはできないのだ。
それがわかってくると、私は「自分は自分」という自分の人生の当事者意識がでてきた。
「この苦しさわかれよ!」と思ってもだれも完全には「わかってくれない」のだ。
するとだんだん
「だれかの人生と自分の人生を比べてもしょうがない」という考えに変わり
自分の人生に妙な「自信?」が湧いてきたのだ。
「ここまで俺よくやってきたんじゃない?」てきな。
もっと自分を愛していい
これをやりたい。
自分の人生を、できるならば悲観してほしくない
もっと自分の人生を許してあげていい
完全にわかったようなことは言えないが
みんな必死に生きてると思う。
自分の人生にもう少しだけ自信をもってほしい
そう言う自分も、自分の人生に自信を持ちたいんです。
もっと自分の人生に肯定感を感じていいと思う。
必死にここまで生きてきた自分をもっと愛していいと思う。
もっと自分を愛していい
「ストーリー」の「メディア」では
そんなことのお手伝いができるかもしれない
お節介かもしれないが、
「自分の人生に自信をもつ」
「自分を愛す」
そんなことのお手伝いがしたい。
そう思いました。
「ストーリー」に特化した「Webメディア」
やりたい。