超凡大学生

どこにでもいそうでいない大学生のつぶやき

AI、BI、そして、CIの時代 「最後はヒトだったよ」

AI(Artificial Intelligence、人工知能

BI(Basic Income、最低限所得保証)

CI(Community Identity、共同体同一性)

 

f:id:onehundredandninetyeight:20180402000447p:plain

 

今後の世の中の流れを就活が一段落してきた学生が考察したい。

なにかと言うと、AIとBIの流れからCIの世の中になるんじゃないか、という妄想話だ。

かなり頭のおかしい妄想に聞こえるかもしれないが、最後まで読んで欲しい。

少しは理解して頂けるのではないだろうか。

就活をしていて感じた、あの違和感と未来を綴りたい。

 

今日の目次はこんなかんじだ

  1. これまでの時代
  2. いまの時代
  3. これからの時代
  4. そしてその先の時代
  5. まとめ

 

1、これまでの時代

まず、1990年代後半以降のインターネットの普及やWebサービスの登場と共に、「事実」となるデータが生成される範囲を広がっていった。

 

それをBI(Business Intelligence)という。元祖BIは、経営・会計・情報処理などの用語で、企業などの組織のデータを、収集・蓄積・分析・報告することで、経営上などの意思決定に役立てる手法や技術のこと。BI技術は、経営判断上の過去・現在・未来予測などの視点を提供するものだ。

 

BIという技術は膨大なデータの中から、人間が意志決定するために役立つパターンや特徴を見つけやすいように表やグラフに「見える化」することに主眼が置かれてきた。

 

あくまで、意思決定は人間が主体であった。BIによって見える化された経営課題などを、「人間が」特徴を見つけ出し、「人間が」推論、判断するための作業を行う。

 

元祖BIでは、課題のパターンや特徴を見つけ出す作業は人間に大きく依存していた。

 

2、いまの時代

2010年代になるとAIが台頭してきた。

 

AIは何でもできる高度な知能機械というイメージがあるが、現実には、意志や意識、好奇心や課題の探求・開拓といった人間の脳には本来備わっている機能はない。

 

従ってAIは、人間が経験や知識などに基づいて考え、判断し、行動する認知の過程を支援する手段である。

 

そして、 AIの中核となるのが機械学習。これは、データを分析し、推論や判断を行うためのパターンや特徴を計算で取り出すための仕組みだ。

 

AIは経験や勘にたよるのではなく、事実から生みだされるデータに基づくことで、的確な意志決定が下せるよう支援してくれる道具であり、統計的手法を駆使し、そのデータに内在するパターンを見つけ出すという機能がある。

 

AIは、元祖BIではカバーできなかった「パターンを見つけ出す」ことや、「特徴を見つけ出す」ことを機械自身にやらせるところが革新的なところである。

 

そして、扱えるデータ量もビッグデータと言われるように、量や種類ともに膨大になった。人間の能力だけでは、膨大なデータに内在するパターンや特徴を見つけ出すことが困難になったこともAI台頭の背景にある。

 

BIの出現から20年もしないうちに、コンピューター性能の向上やアルゴリズムの進化があり、「パターンの発見」なども機械に任せることが可能になったのだ。

 

昨今は、脳科学の知見を取り入れた「ティープ・ラーニング(深層学習)」という手法が登場し、機械学習の機能や性能がさらに高まっているという。(文系素人知識)

 

こ機械自身に事実に基づきデータの解釈をさせ、推論や判断さえも委ねようというところに元祖BIだけの時代とAI時代は大きな違いがある。

 

もちろん、最終的な判断は人間の役割とする場合も多いかもしれないが、AIを利用した「自動運転車」などは、運転に必要な様々な判断を機械に委ねている。既に駐車を完全自動でやってくれる車が民間で売り出されており、そんな車を都内でも見かけることがあるだろう。

 

3、これからの時代

AI(Artificial Intelligence、人工知能)とBI(Basic Income、最低限所得保証)は今後、世の中の根底を変えるだろう。

 

進化を続けるAIが「人間がしなくていいような仕事」を奪い、BIが「仕事をしなくていいよ」と言うのだ。

 

具体的にはAIなどを扱う高度な知的労働階級と、職を失う単純労働階級の二極化(デジタルディバイド)が進む。そして富の再分配の一つの方法としてBIが行われる。

 

富の再分配の一つの方法であるBIとは、国家が無条件に国民に対して最低限の生活を保障する額の現金を、国民全員に無条件・無期限で給付する制度だ。生活保護国民年金と同水準の1人当たり8万円と設定すると、夫婦に子ども2人の家庭では32万円の給付になる。もちろん使途は自由だ。長所は国民であることのみが条件というシンプルさと、官僚や行政の差配が利かないことだ。

 

2015年、野村総合研究所から「日本の労働人口の49%がAIに置き換えることが可能」という内容の発表がされた。2017年末、メガバンク3行がAIを活用して大規模な人員削減に踏み込むと発表した。

 

AIがつまらない仕事を置き換わってくれる。

BIはあなたに「仕事しなくていいよ」と言う。

 

そして遂に、このブログの最終テーマに行き着く。

 

それでもあなたは仕事がしたいか?

 

f:id:onehundredandninetyeight:20180204104700j:plain

どう生きる?

 

「何のために生きるのか」

「何がやりたいのか」

 

AI、BIによって、「働かざる者食うべからず」から「働かなくても食ってよし」へ。

夢のような大転換が起きる。

 

働かなくてもいい世界が訪れる。

 

働かなくても良い世界は単純に理想郷とは限らない。退屈という不幸がある。人間はラクを求める怠惰な一面もあるが、楽のために努力したり興味を持ったりする一面もある。何らかの鍛錬、修練、学びを欲する一面が人間にはある。

 

経済活動に人間のかかわる割合が減る分、自己実現なり社会貢献なりのために人間は生きられるようになる。

そのときあなたは

 

「何のために生きるのか」

「何がやりたいのか」

 

4、そしてその先の時代

CI(コーポレート・アイデンティティ)とは、企業文化を構築し特性や独自性を統一されたイメージやデザイン、またわかりやすいメッセージで発信し社会と共有することで存在価値を高めていく企業戦略のひとつのことだ。

 

一見これはただの企業戦略の話だが、

私が提唱したいのはCI(コミュニティ・アイデンティティ)だ。

 

コミュニティとは「共同体」

アイデンティティとは「あるものがそれとして存在すること」、またそうした認識をさす。広義には、「同一性」「個性」「国・民族・組織などある特定集団への帰属意識」「特定のある人・ものであること」などの意味だ。

 

どういうことかというと、特にやりたい仕事もなく、BIでわりと不自由なく生きる人々は「アイデンティティ」を意思決定基準に、「コミュニティ」を形成し始めるということだ。

 

今までの人々にとってのコミュニティは「企業」であり、意思決定基準は「稼げるか」とかであった。

しかしこれからは自分の「アイデンティティ」によって「コミュニティ」を決める時代が来る。

それを私は「CI(コミュニティ・アイデンティティ)」の時代と呼びたい。

 

アイデンティティとは「自分とは●●という人間だ」という認識だ。

これはつまるところ、自分は

どんな人と一緒にいたくて、どんな人と一緒にいたくなくて、どんなことが好きで、どんなことが嫌い

といったことを認識している状態だ。

 

「好きを仕事にする」とかそういう最近のトレンドは究極全てこれだ。

 

CIの時代は

「私はこれが好きだー!」と言って勇気を持って旗印を立て、行動し、コミュニティを創る(フォローワーを集める)

そしてコミュニティの文化を構築し、特性や独自性を統一されたイメージやデザイン、またわかりやすいメッセージで発信しフォローワーと共有することで存在価値を高めていく。

(コーポレート・アイデンティティ)と似ていることにお気づきだろうか

 

まさしく、100年時代を生きる戦略のひとつのことだ。

 

たった、これだけ。

CIの時代は

好きなことを好きと言える人が楽しい時代。

嫌いなことを嫌いと言える人が楽しい時代。

自分勝手な人が人生を謳歌する時代。

 

自分の好きなコミュニティを自分で創る

または、好きなコミュニティに参加する

 

f:id:onehundredandninetyeight:20180309213936j:plain

新しい“CI”の時代

CI(Community Identity)共同体同一性

好きな人が好きなように好きな人と好きにするコミュニティ 

 

たった、これだけ。

CIの時代。

 

5、まとめ

なんでこんなことをいきなり真面目ぶって就活生の私が言うかというと、

OB訪問などを重ねた私が「あること」に気付いたからである。

それは、OBほぼ全員が口にした言葉だ。

 

私は「最終的にその企業(内定先)を選んだ決定的な理由はありますか?」と聞いた。

すると、OBはこう言うのだ

「最後はヒトだったよ」

 

あまりに多くのOBがこのセリフを言うのだ。

気になった。

なぜそこまで論理を詰めて、面接官にうんともすんとも言わせないような対策を立て、ロジックロジックうるさくしていたのに。

 

「最後はヒトだったよ」

 

ああ、わかった。

要はどこかコミュニティに属したいから会社に行くのか。

要は好きな人がいる会社にいたいのか。(雑)

 

そうか、好きなコミュニティに属したいのか。

 

ん?

これって、昔から変わってない?

 

サッカーが好きで、サッカー好きが集まるコミュニティだからサッカーサークルに入る。

 

子供の時、楽しいから集まって遊ぶ

 

究極そこに帰ってくるのか。

 

ということは、きっと人間の根本なのだろう。

 

AIが進化しても、BIが整っても、きっと人間はこの行動を止めない。

 

CIの時代が来る。